ナポレオン・ラジョイ
フィラデルフィア・フィリーズ(1896〜1900)-フィラデルフィア・アスレチックス(1901〜1902)-クリーブランド・ブロンコス/クリーブランド・ナップス(1902〜1914)-フィラデルフィア・アスレチックス(1915〜1916)
ア・リーグ初のスーパースター
1901年成績 131試合 .426 14本 125打点 27盗塁
パワナンバー:12100 52303 48536
ぐうれじぇシリーズ第6弾はアメリカン・リーグ黎明期に活躍したスタープレーヤー、ラジョイ選手です。ア・リーグ初の三冠王、シーズン最高打率.426を記録した1901年再現。
デビューはナ・リーグのフィリーズだったが、ア・リーグの1901年のメジャーリーグ宣言の際にアスレチックスへ移籍。元々フィリーズとの交渉が上手くいってなかった中でアスレチックスが半ば強引に契約を結んだ形となった。このためフィリーズがラジョイ-アスレチックスの契約の無効を裁判所に訴える事態となった。シーズン中に結論が出ることは無くラジョイは1901年はそのままアスレチックスでプレーを続けることに。
シーズンでは今も残るシーズン最高打率.426を筆頭に本塁打・打点・安打・得点でもリーグトップの数字を残し、ア・リーグ初の三冠王となった。
実力はもちろん人気も高く、1902年から所属したクリーブランド・ブロンコスではラジョイにちなんで"クリーブランド・ナップス"にチーム名が変更された。
また1905年からは監督も兼任し、同時期に活躍した球畜球聖タイ・カッブと首位打者争いを繰り広げた。
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基礎能力
弾道 2:デッドボール時代*1なのでロクに飛びやせん。
パワー B77:当時としては体格が大きく、それ故にパワーはあった方だと思われる。スイングが非常に強く、1899年には3回ボールをぶっ壊したという話もあるほど。このころはランニングホームランも多く、この年のラジョイは4本がランニングホームラン。つまり柵越えをしたのは10本に留まるためB後半までのパワーが限界かなと。一応ラインドライブで補完もしている。
走力 B75:守備の際には「驚くほど足が速く、鹿のように地面を駆け抜けた」とされており、盗塁数なども見る限り俊足だったことは想像に難くない。ただ球界トップクラスかと言われると微妙なラインなのでB75程度で。
肩力 B76:稲妻のように投げていたらしい。さすがにその表現は盛っているだろうが。
守備力 S94:優雅で巧みと評されるフィールディング。当時の新聞でも「まるで果物を摘んでいくかのように打球を捌いていく」と報じられている。
捕球 B78:この年は32失策。今の感覚で見るとかなり多く感じるが、ボールやグラウンドの質を考慮するとそうでもなかったりする。事実、1901年のア・リーグではKid Greasonが倍の64失策で最多失策になっているし、ラジョイ自身は1900年から2年連続で最高守備率を記録している。
サブポジ:SSとして12試合出場。またこの年は出場は無いが、1899年〜1902年以外は毎年、キャリア全体で286試合就いているので1B適性もありにした。
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特殊能力
安打製造機:20世紀以降のMLBシーズン最高打率が安打製造機と言わずなんと言うか。ぶっちゃけミートS100と同じくノータッチでも良かった。
バント○・内野安打○:「あらゆる方向に打ち分けることのできるバントの名手」ともされる。それ抜きにしても、デッドボール時代に232安打を打つにはセーフティバントの技術は必須と思われる。
対変化球○:ア・リーグで流行っていた緩急を使ったピッチングが通用しなかったという。また、打率リーグ2位のMike Donlinと.086という大差で首位打者になっていることから、当時は使用できたスピットボールも打てていたのではと思ったため。
悪球打ち:上は眉間、下は足首まで振っていく。四球で逃げられそうになっても無理矢理にでも当てにいく。
調子安定:21年のキャリアの中で3割を割ったのは4回のみ。
人気者:普段はそんなに付けない能力だが、在籍中にチーム名にまでなってしまう選手には付けるしかない。